cont_img_heritage_01_01

アヌラーダプラ

シンハラ文明誕生の地

“Anuradhapura the Birthplace of Sinhala Civilization”

アヌラーダプラは、シンハラ文明誕生の地であり、スリランカ最古の首都。今から2500年前、この地にはとても高度な文化が存在していたと言われています。
伝説によると、紀元前483年、アヌラーダプラにはシンハラ族の先祖であるヴィジャヤ王の従者である、アヌラダが最初に定住しました。その後、紀元前380年にパンドゥカーバヤ王が、この地を首都としました。
現在、シンハラ王朝時代に建設された数多くの遺跡を見ることができます。また、インドからスリランカに広められた仏教も、アヌラーダプラからミャンマー、カンボジア、タイなどに伝えられました。

歴史

紀元前380年 パンドゥカーバヤ王

King Pandu Kabhaya, 380 BCE

シンハラの歴史詩の「マハーヴァンサ」(大王統史)によると、パンドゥカーバヤ王の作った都市はとても計画的に整備されていた。当時の首都、アヌラーダプラの面積は52km²。人々は、地下2階、地上2~3階建ての住居に住んでいたと考えられている。そして、ハンター、ゴミ清掃員、異端者、外国人は指定地域に住まわされていた。また、宿泊所、病院、ジャイナ教の教会、高いカーストから低いカーストまでのそれぞれの墓地などもあった。
人工的な貯水池も建設され、水分供給も保障されていた。現在でも残っている、貯水池の1つは「バスワック・クラム」と名付けられた。

紀元前250~210年 デーワナンピヤ・ティッサ王

King Devanampiya Tissa

デーワナンピヤ・ティッサ王の時代に、アヌラーダプラにインドのアショーカ王の息子である、アラハット・マヒンダがリーダーを務める派遣団が、北インドからスリランカに訪れる。ミヒンタレ(マヒンダの山という意味)の丘の洞窟に住処を作り、マヒンダと彼の従者たちは定住し仏教を広めた。
この頃に、アショーカ王の王女がインドのブッダガヤから菩提樹(仏陀が悟りを開いた場所)の分け枝が運んだと言われている。
仏教は、瞬く間にスリランカ中に広まる。王は仏教を保護し、修道院、トゥーパーラーマ・ダーガバー、イスルムニヤ精舎などを建設した。

紀元前161~137年 ドゥッタガーマニー王

King Duttha Gamini

ドゥッダガーマニー王は、タミル軍を倒した王として英雄になった。さらには、初めてスリランカ全域を統一し、支配体制を確立。
ルワンウェリ・サーヤ大塔は王が寄贈したものの中では、一番素晴らしいものであるが、王は完成を待たずに亡くなってしまう。

紀元前103~89-77年 ワラガムバーフ王

King Vattagamani Abhaya

ワラガムバーフ王は、タミル人の侵略により王位をはく奪される。14年間、王はジャングルの洞窟内を放浪していた。放浪中に、ジャイナ教の僧侶より屈辱を受けたと記録されている。報復として、アヌラーダプラに戻った王は、ジャイナ教の寺院を破壊し、その跡地にアバヤギリ大塔を建設した。

276~301年 マナーセナ王

King Mahasena

3世紀にはマナーセナ王が、アヌラーダプラをタミル人より奪回。16の貯水池と運河を建設する。現在でも、人々の生活にとって欠かせない設備となっている。

その後、500年以上もタミル人の侵略に悩まされる日々が続く。4世紀始め、インドから持ち込まれた、ブッダの左の糸切り歯が王朝を支えていた。仏教界の勢力争いにより、アヌラーダプラは混乱状態に陥る。それと同時に、タミル人からの攻撃も加わり、シンハラ王朝は10世紀にアヌラーダプラを放棄した。
全盛期の遺跡は現在でも残っている。

観光スポット

イスルムニヤ精舎

Isurumuniya Vihara

デーワナンピヤ・ティッサ王の時代(紀元前250~210年)に、精舎は建設された。本堂には鮮やかな赤い色の服を身に纏い、横たわった大きな仏像が安置されています。東京、浅草寺の援助により、この仏像の色塗り替え補修が行われました。
宝物殿には、貴重な発掘物が多く保管されています。中でも有名なのが、「恋人の像」と「王族の像」です。いくつか定説があるなか、この「恋人の像」の男女はドゥッタカーマニー王の息子のサーリヤ王子と恋人のマーラという説が最も有名です。定説によると、恋人マーラはカーストが低く、当然二人の恋は周囲に認められる事はありませんでした。しかし、マーラを諦める事の出来ないサーリヤ王子は、王子という身分を捨てて結婚を望んだと言われています。
この定説の続きが、「王族の像」。王族の像は、ドゥッタカーマニー王と王の妻、サーリヤ王子と、結婚したマーラだと言われています。しかし、マーラはカーストが低い事が理由で、他の三人と比べ小さく掘られているのだろうと言われています。

ルワンウェリー・サーヤ大塔

Ruwanweli Seya Dagoba

ルワンウェリー・サーヤ大塔は、遺跡地区の中心に位置する巨大な白い仏塔。完成当初の大塔の高さは110m、現在は55m。これはドゥッタカーマニー王の命により建設が始まるが、完成を待たずに王は亡くなりました。王の死後、跡を継いだ息子により完成しました。
ここで、観光客の目をひくものは、やはり数々の素晴らしい彫刻です。門には象の彫刻が数多く埋め込まれています。正門右側の像は、ドゥッタカーマニー王の像であり、その姿を知ることが出来ます。

ジェータワナ・ラーマヤ

Jatavana Ramaya

ジャータワナ・ラーマヤはアヌラーダプラのシンボルとして有名。現在はユネスコにより修復中。
完成当初のジャータワナ・ラーマヤは頂上の水晶まで高さ152mの巨大な仏塔でした。
9世紀ごろのサンスクリット文字で記されたマハーセーナ経典が、1982年に発見されました。これは現存するサンスクリット文字の経典の中でも大変貴重なものです。

アバヤギリ大塔

Abhayagiri Dagoba

かつての大乗仏教の総本山。アバヤギリ大塔は赤茶色で、所々から草木が茂りだしています。かつての総本山の繁栄した姿は、残念ながら、現在は見ることはできません。
この仏塔は、ワラガムバーフ王が放浪生活中にジャイナ教の僧侶に受けた屈辱の報復として、ジャイナ教の寺院を破壊し、その跡地に建設したと言われています。
12世紀に入り、大乗仏教派とテータワーダ派の抗争が激化。パラークラマ・バーフ一世王により、大乗仏教はスリランカより追放されました。

スリー・マハー菩提樹

Sri Maha Bohdi Tree

紀元前3世紀に、インドのアショーカ王の王女により、インドのブッダガヤからアヌラーダプラに菩提樹の分け木が運ばれ、スリー・ハマー菩提樹に植えられたと言われています。
多くの巡礼者が訪れ、熱心に祈りを捧げています。その光景からも、巡礼者の強い宗教心が伺えます。
19世紀ごろから菩提樹を外敵から守るため、石台や鉄の柵が周囲に造られました。現在は白い壁で周囲を覆われています。