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ポロンナルワ

スリランカ中世の都市

“Polonnaruwa the Medieval Capital of Sri Lanka”

ポロンナルワは10~12世紀の間、シンハラ王朝の首都として栄えました。
仏教都市としても繁栄し、タイやビルマからたくさんの仏教徒が巡礼に訪れました。
ポロンナルワは次第に衰え廃都と化したが、1900年以降発掘が始まりジャングルの中から再び姿を現しました。
現在でも古都の面影がアジア有数の大遺跡群として残っています。

歴史

667~685年 アッガボーディ4世王

King Aggabodhi IV

歴史詩によると、アッガボーディ4世王は、ポロンナルワに初めて定住した王として描かれている。そして、ポロンナルワは徐々にと、王の居住する場所となる。正式な首都であるアヌラーダプラは、すでにこの時に1000年以上の歴史があり、王たちは新しい都市「ポロンナルワ」を引き立てるようになり開発が進んでいく。しかし、紀元前993年に南インドのチョーラ王朝による攻撃により首都アヌラーダプラを手放す事を余儀なくされ、シンハラ王朝の首都はポロンナルワに移動した。

ウィジャヤバーフ1世王

King Vijayabahu I

1070年に、シンハラ王朝のウィジャヤバーフ1世王は、チョーラ王朝により首都アヌラーダプラを追われ、そして新首都をポロンナルワに定めた。ウィジャヤバーフ1世王は、灌漑設備を回復させ、国の再建に努め、貿易を推奨し、仏教の普及に力を注いだ。そしてウィジャヤバーフ1世王の功績により、シンハラ王朝は以前の繁栄を取り戻した。

1153~1186年 パラークラマ・バーフ1世王

King Parakramabahu I

パラークラマ・バーフ1世王時代に、ポロンナルワは絶頂期を迎える。王は巨大な建物、灌漑用貯水池、さらには美しい公園を造った。また、広範囲の土地も農業用に配置し、さらには自然保護区を指定する。また、ビルマやインドに対し軍隊を派遣し、以前奪われた遺跡を返還させる事に成功する。
しかし、パラークラマ・バーフ1世王の一番の功績と言えば、やはり2400ヘクタールにも及ぶ灌漑用貯水池の建設だろう。この貯水池はパラークラマ・サムドラ(パラークラマの海)と名付けらる。そして「3人の至高の僧侶」と呼ばれる三人の僧侶、マーハ・ヴィハラ、ジャタヴァナ、アドハヤギリを一つの修道院に入れた事も素晴らしい功績である。この偉大な功績により、仏教はこの後続く暗黒時代を安全に生き抜ぬいた。
パラークラマ・バーフ1世王はスリランカで最後の偉大な王であろう。

1187~1196年 ニッサンカ・マーラ王

King Nissankamalla

南インドのガリンガ王朝出身のニッサンカ・マーラ王が、パラークラマ・バーフ1世王の次に王位を継ぐ。王は自分自身を偉大な建造者と唱え、国内各地にニッサンカ・マーラ王を称賛する言葉が刻まれた石碑文を造った。しかし実際はそんな事実はなく、パラークラマ・バーフ1世王の功績に見合うように国の富を浪費しただけだった。

ポロンナルワの衰退

The decline of Polonnaruwa

ニッサンカ・マーラ王の死後、ポロンナルワは衰退の一歩を辿る。南インドのチョーラ王朝による手に負えない度重なる侵略、さらにはマレー人による幾度もの都市の略奪。事実上、これらの内戦はシンハラ王朝の社会構造、宗教秩序などを破壊した。この後100年間、歴史にもほとんど記録がされていない状態の「スリランカ暗黒時代」を歩む。
首都はクルネガラに移され、ポロンナルワはジャングルに戻っていく。貯水池は、湿原の湖として生き残ったが、レンガで出来た建築物は深い熱帯雨林に埋もれて行く。
1900年代初期から始まった遺跡の発掘が現在でも、発掘と発掘遺跡の保護が続けられている。

観光スポット

石立像

Statue of Unknown Man or the Sage

ポロンナルワ期に最も王朝を繁栄に導いた、パラークラマ・バーフ一世王だと広く言われている。この石像はひげをはやし、威厳さを醸し出している。像はヤシの葉に書かれた仏典を持っていることからも、哲学者やインドの宗教家であるという説もある。

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クワドラングル

Quadrangle

旧市街の中心部にあたる場所に位置する。シンハラ王朝時代、仏教の中心地であり、仏歯寺もここにあった。
中には11の建造物が集まっている。以前の面影を強く感じられる建物から、今ではほとんど形を留めていないものまでが集まっている。遺跡好きにはたまらない場所、間違いなしだ。

シヴァ・デーワーラヤ No.1

Siva Devalaya No.1

13世紀に建てられた仏教遺跡の中にあるヒンドゥーの遺跡。
仏教遺跡の中に、なぜヒンドゥーの遺跡があるのか?これには二つの定説がある。一つは、王妃の一人が、ヒンドゥー教徒であったから。もう一つの説は、13世紀に南インドのチョーラ人がポロンナルワを侵略した時に建てられた。

シヴァ・デーワーラヤ No.2

Siva Devalaya No.2

こちらは、No.1と違い、なぜ建てられたのか判明している。これは、11世紀に南インドのチョーラ人が、ポロンナルワを侵略した時に建設された。