スリランカは紀元前5世紀に建国され2500年以上の歴史をもつ由緒ある国である。19世紀にイギリスの植民地となるが、1948年にセイロンとして独立した。
西暦 | 時代 | 出来事 |
B.C483 | アヌラーダプラ時代 | ヴィジャヤ王の従者である、アヌダラが北インドからスリランカに移住 |
ヴィジャヤ王が、初代シンハラ王朝の王になる | ||
> アヌラーダプラ | ||
380~ | パンドゥカーバヤ王により、首都アヌラーダプラ建設 | |
計画的な都市が整備される | ||
> パンドゥカーバヤ王 | ||
250~ | インドより菩提樹がスリランカに分け枝が届く | |
インドから伝えられた仏教が、スリランカで広まる | ||
> デーワナンピヤ・ティッサ王 | ||
210~161 | 南インド人がアヌラーダプラを征服 | |
161~137 | ドゥッタガーマニー王が南インド系の征服者を追放し、王位を奪還 | |
スリランカ全域を初めて統一し、支配体制を確立 | ||
> ドゥッタガーマニー王 | ||
103~89 | 南インド人が再び、アヌラーダプラを征服 | |
この時のシンハラ王朝の王は、ワラガムバーフ王 | ||
> ワラガムバーフ王 | ||
89~77 | ワラガムバーフ王がアヌラーダプラを奪回 | |
この後、アヌラーダプラをタミル人とシンハラ王朝の奪い合いが続く | ||
A.D | ||
276~301 | マナーセナ王が、タミル人よりアヌラーダプラを奪回 | |
16の灌漑貯水池を建設 | ||
> マナーセナ王 | ||
473 | シーギリヤ ライオン岩建設 | |
> シーギリヤ | ||
1070 | ポロンナルワ時代 | シンハラ王朝は南インドのチョーラ王朝より、アヌラーダプラを追われる |
ウィジャヤバーフ王がポロンナルワにシンハラ王朝の首都を移転 | ||
> ウィジャヤバーフ1世王 | ||
1153~86 | パラークラマ・バーフ王の時代に絶頂期を迎える | |
スリランカ全域を統一 | ||
> パラークラマ・バーフ1世王 | ||
1287~93 | チョーラ王朝、マレー人からの攻撃などにより、シンハラ王朝はポロンナルワを追い出される | |
> ポロンナルワの衰退 | ||
1200~300頃 | スリランカ北部のジャフナに、タミル人のジャフナ帝国が建国 | |
1300頃 | マルコ・ポーロがスリランカを訪れる | |
1500頃 | キャンディ時代 | キャンディがキャンディ王朝の首都となる |
> キャンディの歴史 | ||
1505 | (ポルトガル植民地時代) | ポルトガル人による植民地支配開始 |
1521 | ポルトガルにより、コッテ王国は分裂される | |
1546 | ポルトガルとコッテ王国は、キャンディ王朝の侵略を試みるが、失敗する | |
1571~82 | ポルトガルがゴールに城塞を築く | |
> ゴールの歴史 | ||
1590 | 仏歯がキャンディに移される | |
> 仏歯寺(ダラダ・マーリガーワ) | ||
1591 | ポルトガルがジャフナ王国に進軍 | |
1594 | ポルトガルがキャンディ王朝の侵略を試みる | |
1595~96 | オランダ船が、アジア海域に出没 | |
1597 | 正統な王権は、キャンディ王朝に | |
1619 | ポルトガルがジャフナ王国(タミル人)を壊滅させる | |
1623 | ポルトガルがキャンディ王朝よりトリンコマリを奪取 | |
1638 | オランダが、トリンコマリとバッティカロアをポルトガルより奪取し、キャンディ王朝に返還 | |
1640 | オランダがポルトガルからゴールとニゴンボを奪取 | |
> ゴールの歴史 | ||
1645~50 | オランダとポルトガルが和平 | |
1656 | オランダがポルトガルよりコロンボを奪取 | |
1658 | オランダとキャンディ王朝が手を組み、ポルトガルを追放 | |
1658 | (オランダ植民地時代) | オランダ植民地時代が開始 |
キリスト教の普及とともに、仏教も保護 | ||
オランダはキャンディ王朝を承認 | ||
1665 | オランダがキャンディより、トリンコマリを奪取 | |
1668 | オランダがキャンディより、バッティカロアを奪取 | |
1670~75 | 貿易対立が起こり、キャンディ王朝は、オランダ支配地域を攻撃 | |
1675年に、休戦協定が結ばれる | ||
1722 | オランダが、スリランカ国内でコーヒー栽培を開始 | |
1762 | イギリス使者が、キャンディの宮殿を訪問 | |
1775 | ペラヘラ祭に仏歯が加わる | |
> キャンディ・エサラ・ペラヘラ祭 | ||
1796 | (イギリス植民地時代) | イギリス植民地時代開始 |
1803 | イギリスとキャンディの関係が悪化 | |
1815 | キャンディ王朝内の内紛に乗じ、イギリスがキャンディ王朝を滅ぼす | |
キャンディは、イギリス植民地支配により300年以上に渡る歴史に幕を落とす | ||
> キャンディの歴史 | ||
1823 | ~イギリス植民地時代 | 大規模なコーヒー・プランテーションの設立 |
1827 | コーヒー豆の初輸出が行われる | |
1828 | コーヒー農園にタミル人が労働者として連れてこられる | |
1832 | 最初の政府系新聞「Colombo Journal」が発行される | |
1833 | 5つの州が設定される | |
士法改正が行われる | ||
行政評議会、立法評議会が設置される | ||
1834 | 最初の独立新聞「Ceylon Obserer」が発行される | |
1844 | 奴隷制度の完全撤廃 | |
1845 | 6つ目の州が設定される | |
1860 | 最初のシンハラ語新聞「Lanka Lokaya」が発行される | |
1864 | 最初のシンハラ語新聞「Udaya Tarakai」が発行される | |
1869 | 害虫大発生により、コーヒー農園が壊滅 | |
コーヒー農園の跡地に、紅茶畑を作る | ||
1870 | 初めての紅茶の輸出を行う | |
1872 | ルピーとセントが導入 | |
1873 | 仏教徒とキリスト教徒間で、協議論争が勃発 | |
1885 | シンハラ歴とタミル歴の正月が4月13日に決定。 | |
1919 | シンハラ人政治家とスリランカ・タミル人政治家が平和的独立運動を開始 | |
セイロン国民会議を結成 | ||
1931 | 21歳以上の男女普通選挙制度の開始 | |
第一回国家用議会議員選挙 | ||
1935 | 土地を所有していない農民に、政府所有地を分配 | |
1939 | セイロン銀行の設立 | |
1939~45 | 第二次世界大戦勃発 | |
スリランカ全域が重要な軍事基地となる | ||
何千にもおよぶイギリス・アメリカ人の兵士が配備される | ||
1945 | 無償教育制度(幼稚園~大学)の導入 | |
1947 | ドン・スティーブン・セナナヤケがスリランカ初の首相に就任 | |
1948.2.4 | セイロン国として、独立 | |
152年に渡った、イギリス植民地時代に幕を下ろす | ||
1950 | エア・ランカが国際線を就航 | |
正式に国旗が制定 | ||
1951 | 正式に国家が制定 | |
1958 | スリランカ全域で、シンハラ人とタミル人の関係が悪化 | |
コロンボ港が国営化される | ||
1960 | シリマボ・バンダラナイケが世界初の女性首相になる | |
1961 | 私立学校がすべて公立になる | |
セイロン石油公社が設立 | ||
セイロン人民銀行が設立 | ||
セイロン銀行が国営化される | ||
1966 | ポヤ・デーが制定される | |
1971 | 国営製薬会社が設立 | |
国営宝石公社が設立 | ||
1972 | 国営映画公社が設立 | |
1975 | 外国が所有する紅茶やゴムのプランテーションを国有化 | |
1979 | 民間バス会社が発足 | |
1980 | 学校教科の無償配布開始 | |
1983 | タミル・イーラム解放の虎が本格的に活動開始 | |
2009 | スリランカ政府により、タミル・イーラム解放の虎が制圧 | |
2010 | 大統領選挙 | |
国会議員選挙 |